「石巻で聞いた話」

2012.11.29 (匿名希望)

先の日曜日、石巻施術ボランティアに参加させていただきました。
現地の方々や、計画して下さった菅先生に大変お世話になりました。
また、ボランティア資金を寄付してくださった多くの方々にもこの場をお借りして心よりお礼申し上げます。

昨年までオステオパシースクールに通われていて、今は自然農法を実践されている石巻の方とご結婚されている女性がいます。夕方仮設住宅での施術が終わってから、そのご主人の車で、石巻の街をあちこち案内していただきました。その間2時間ほど、ご主人の直接の震災体験や、石巻の現状などについて、たくさんのお話をうかがうことができました。
誇張法とは直接関係はありませんが、できるだけ多くの人に知っていただきたいとおっしゃっていたので、この掲示板にお話の内容の一部を書かせていただきます。できるだけ長くならないように、うかがった内容を箇条書きにします。

「被害がとても大きかった沿岸の地区は、数十年前までほとんどが砂地だった。そこにわりと最近大きな工場や新しい住宅街が次々にできた。それが今回津波で全部やられてしまった。これは明治時代にそれまでの災害の記憶や伝承を分断してしまったからだ。石巻は計算すると、50年に一度くらいの割合で大きな津波の被害を受けている。明日また来るかもしれない。しかし、堤防も壊れているのに、もう沿岸部の危ない場所に住んでもいいという許可が下りている」

「全国規模のメディアは現地の情報を全く正しく伝えていない。人々は元々住んでいたところに帰りたがっていると伝えているが、ほとんどの人は多くの人が亡くなった場所には戻りたいとは思っていない。いろいろな利権が絡んで、情報が捏造されている」
「いろいろと思い出すので、今でも被害の大きかった地域へ足を踏み入れるのは正直とても気が重い。そこには目に見えないバリアか結界のようなものが張られている気がする」

「無作為に仮説住宅にあちこちの地区から人を入れたので、争いが絶えない。やはり同じエリアにいた人同士が近くで暮らすべきだ。今やっとそうなりつつある」

「街の中心部の商店街の飲食店などは、ほとんど郊外に引っ越してしまった。今街の中心は、少し郊外の大型駐車場を完備した巨大ショッピングモールに移っている。そこには食料、資材、冷暖房、娯楽があり、仙台行きのバスも発着している。多くの人がこの近くに住みたがっている」

「震災から数日後、まだ水に沈んでいた街の中心部へカヌーで救助に向かった。そこで得た教訓は、そのうち何とかなるだろう、誰かいつか助けてくれるだろうと思って待っていた人たちはみんな死んでしまった。何かあったときは待たずに自分から積極的に行動を起すべきだ。こういう大災害の時国や自治体は、すぐには何もしてくれないと覚悟しておいたほうがいい。結局救助が来たのは何日も経ってからで、それでは命の救出には間に合わなかった」

「人は自分がよもや死ぬとは思っていない。それが助かるはずだった人が助からず、多くの犠牲者を出した原因。津波から車で逃げて交通渋滞に巻き込まれた人たちは、いくら外から窓ガラスをたたいて、もう直後に津波が来ているから今すぐ車を捨てて走って逃げろと言っても、にこにこ笑って聞く耳を持たなかった。自分だけは絶対に助かると思っていた」
「多くの人が亡くなった沿岸部では、夜になると一般の人や警察までも、幽霊を目撃している。それも集団の幽霊。こういうことにはもう誰も驚かなくなっている」

本当はもっといろいろお聞きしたのですが、これぐらいにしておきます。

やはり1年8ヶ月経った今でも、被災地とその他の地域では大きなギャップがあることを痛切に感じました。